男子50km競歩 銅メダル!リオ内定!谷井孝行選手の強さの秘密
北京世界陸上で日本人選手がこれまでメダルどころか、入賞もなかったので、今回はダメかなぁと思っていたら、
谷井選手の競技人生を振り返ってみたいと思います。
谷井選手は中学時代野球部に所属していました。
足が早かったため出場した富山県の駅伝大会でエース区間を走り、
それを見た高岡広陵高校陸上部の先生にスカウトされ長距離ランナーとして陸上を始めました。
しかし、入部後1ヶ月で右足シンスプリントを疲労骨折してしまい、
転機が訪れます。
リハビリのために勧められて始めた競歩で2ヶ月経たないうちに富山県国体予選に出場し、トップと数秒差の2位になったのです。
才能があったのですね。
しかし、谷井選手はそれ以上に努力しました。
高校、大学と競技を続け、アテネオリンピックにも出場しました。
そして、大学生活の最後に右大腿部の骨膜炎を発症して
その後5年間のスランプに陥りました。
競歩は歩形が大事なのですが、
谷井選手は自分の歩形を見失ってしまったのです。
しかし、スランプでありながらもなんとか、
05、07、09の世界陸上2008年の北京オリンピックには日本代表として出ていたのです。
5年の時を経て、スランプを脱して迎えたロンドンオリンピックでは
現地に着いてすぐ、肺気胸を発症し、なんとかスタートラインに立ったものの、途中棄権しています。
しかし諦めませんでした。
その翌年2013年の日本陸上選手権50km競歩では、悪天候の中、優勝。
モスクワでの世界陸上では、3時間44分26秒の好タイムで日本人最高位となる9位となりました。
そして、またの転機。
これまで谷井選手は佐川急便に所属しながら、石川県で1人で練習を行っていましたが、
全てをマネージメントしなければならず、練習場所の確保から、その練習場所までの移動も自分でやらなければならない。
歩くだけでなく、当然、ウエイトトレーニングやプール等様々なトレーニングを行っていたため、各練習場所から他の練習場所へと自ら車で運転していかなければならず、年を重ねるごとにそれは大きな負担になりました。
次第により効率的に練習したいと考えるようになったのは自然なことでしょう。
そんな時に、ライバルの山﨑がロンドンオリンピック前に自衛隊体育学校へ入校し、
さらに日本では3〜4番手ながら、若く、実力を日増しにつけている荒井広宙も2013年に自衛隊体育学校に入隊し、
谷井選手も、全ての設備と優秀なトレーナーが揃っていて24時間態勢でサポートしてくれる自衛隊体育学校に興味を持ち、入隊を決意しました。
4月には今年最大の国内大会である日本陸上選手権50km競歩がありました。
その準備と同時並行で引っ越しを行わなければならず、まだ3歳の幼子を抱えてのことだったので本当に大変だったと思います。
こうして31歳の谷井選手は航空自衛隊2等空曹として、新たな環境で競技を続けることになりました。
この入隊は環境が変わっただけでなく、大きなプレッシャーだったと思います。
31歳での入隊ということもあり、すぐにも結果を出さなければならない、
特に初めての航空自衛隊としての体育特殊技能者(2曹採用)であり、結果を出せなければ、後が続かないかも知れない。
4月の日本陸上選手権では是が非でも勝たなければならない。
それが、30歳を過ぎて所属を変えた男にとって一つのけじめでもあると捉えていたでしょう。
怪我での休養明けとはいえ、高校時代からのライバル、山崎選手との抜きつ抜かれつのデッドヒートを制し、見事優勝を果たしました。
山崎選手に勝ったというより、谷井選手は自分に勝った気持ちが強かったでしょう。
そして迎えた今回の北京世界陸上でも結果を出した谷井選手にあっぱれ。
銅メダルおめでとうございます。
才能だけでなく、数々の逆境を乗り越えてきた努力と意志の強さを感じました。
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